地球生活

この物語はフィクションです。

2021.07.19 人間は楽しかったことを忘れる。

 

 

中学生のころ、わたしは「いじめ」の被害者で、加害者だった。

 

登校も休み時間も放課後も休日も、ずっと一緒にいる友達数人。いつも通りくだらないことを話して笑っていた。

そのうちのひとりが席を外すと、リーダー格の女子が談笑と変わらないテンションで「あいつキモくね?(笑)」と笑いながら言う。一瞬、空気が止まる。その瞬間、察する。

「みんなで無視しよう、逆らったら次はお前な」

そんなことは言わない。休み時間になると自然に集まるいつもの友達。「しばらくはコイツ」というターゲットが出来ると、その子以外を誘ってトイレに行く。

最初は「誘われなかったのは勘違いかな?」と思い、ついていく。でもどこかいつもと違う。話しかけても誰とも目が合わない、誰もわたしに話を振らない、誰もわたしの名前を呼ばない。

不安な気持ちは徐々に確信に変わる。

「ああ、次はわたしか」

飽きれば終わる。わたし以外の誰かが「キモい」と思われれば終わる。そう思って、ただ耐える。引き攣った笑顔で、ひとりでも平気な顔をして、親にも教師にも「いじめられている」なんて言わない。

だってわたしは「いじめられてなんかない」

 

こうやって耐えていると、ある日突然、透明人間だったわたしは急にみんなの目に見えるようになる。

「ごめんね」

そんな言葉はない。だって「いじめてない」から。

そういう空気感。「ハブってない」「いじめてない」「たまたま最近一緒にいないだけ」

そうやって、空気を読むのが上手くなっていく。

 

でもあれは「いじめ」だった。

傷ついた顔を見て笑っていた。空気を読んで、周りに合わせた。最初は自分を守るためだった。自分がターゲットになりたくないから合わせていた。罪悪感もあった。

でもわたしも一緒に笑っていた。無視した。物を隠した、壊した。

飽きればまた次のターゲットが決まる。

全員が加害者で、被害者だった。

 

 

人間は、楽しかったことを忘れる。楽しかったことは心に何も引っかからないまま、記憶として切り出される。普段は忘れている。たまに懐かしんでは、「楽しかった思い出」にして、過去に置いていく。

でも、苦しかったことは忘れない。何年経っても鮮明に思い出す。苦しみはまだ続いている。辛い過去は思い出に切り離されず、現在まで地続きだ。

 

人間を過去に縛り付けるのはいつだって「苦しみ」だ。

さっさと思い出にして「今」を生きている人間が、自分が過去にしたことでいまだに苦しみ続けている人間がいるなんて想像もつかない。

わたしもそうかもしれない。あなたもそうかもしれない。

わたしの「思い出」の中に、今でも苦しみ続けている人間が存在しているかもしれない。

人間は良くも悪くも変化する生き物だけど、過去の自分も紛れもない「わたし」だ。

あのとき置き去りにした思い出に、向き合う時が来たのだ。

 

 

おわり