地球生活

この物語はフィクションです。

2021.07.02 友達が親に数万円の物をねだって買ってもらっていると、羨ましくて心が死ぬ。

 

 

 

「うちにはお金がない」

そう気づいたのは多分中学生ぐらいだった。

お金がない代わりに、"普通の親より"わたしの感情や、すべてに体当たりで向き合ってくれて、深い愛情をもらっていた自覚はあるし、母も父も、誰のことも恨んでない。でもお金はなかった。

 

生活保護を受けたり、給食費が払えなかったり、ずっとお腹が空いていたり、そんなレベルの貧困ではない。学校にも行った、塾にも行った、わたしが"かわいそうに見えないように"母が借金してなんとかした。誰もわたしのことを哀れまない。だから、「お金がない」と言えない。

でも「ある人」よりはない。逆も然り、わたしよりもない人よりは、わたしのほうがある。

 

 

すべての不幸は、他人と比べて自分が持っていないものに気づくことから始まる。

あの子は買ってもらえるのに、あの子よりわたしのほうが頑張ってるのに、不公平だ、不平等だ、わたしはかわいそう、わたしは不幸、

そんな呪いの言葉を何度も何度も唱えてしまう。

繰り返し強く思ったことは、全部本当にそうなっていく。現実の自分を作り出しているのはそう思い込んでいる自分自身だから。

 

比べることをやめる、答えはそれだけだ。

誰1人として同じ人間はいないから、比べること自体に最初から無理があるのだ。

 

なのにわたしたちは、「同じ人間」「同じ人種」「同じ性別」「同じ出身地」「同じ年齢」「同じ価値観」、際限なく共通点を見つけては、「自分に似た人間がいた」って嬉しくなっちゃう孤独で愛しい生き物だから、

「同じだと思っていたあなた」が、わたしにはないものを簡単に手に入れられることが許せない。

 

あなたとわたしは、頭が1つ、腕が2本、足が2本、目が2つ、鼻が1つ、口が1つ、(基本的には)それだけ。

全部違う。なにもかも。比べる対象じゃない。だから自分にはないものを数えて落ち込まなくていい。

 

 

 

 

 

うるせえ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!

 

わたしも家計の状況気にせずに親にブランドバッグねだりてえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

おわり