地球生活

この物語はフィクションです。

2021.07.11 普通とか真ん中とかないの?

 

 

ジムに通い始めた。新しい掃除機を買った。

仕事前の早朝にジムへ行き、心地よい筋肉痛とともに1日働く。

休日には、朝洗濯を干し掃除機をかけて、祖母の買い物に付き合い、犬の散歩に行き、遅い時間にジムへ行き、清々しい汗をかいて眠りにつく。

 

なんだこれは。

生活が、確実に陽の狂い方をし始めている。

 

引きこもり実家ニートのときは陰の狂い方だった。目を閉じると、この世界がたしかに存在するのかわからなくて不安で眠れなかった。

ずっと昼夜逆転、ほとんどベッドから動かないので体は軋み、ずっと頭がぼーっとしていた。

ほとんどの人間はこういう状態を「鬱」とか、「生活リズムが狂っている」と思うだろうが、わたしからすれば「毎朝同じ時間に起きて同じ会社に通い続けて、それなりに怒ったり泣いたり落ち込んだりしながらも、投げ出すことなく生活を送っている」人間を見て、わたしとは反対のベクトルで狂うとこうなるんだな、と思っていた。

 

5年付き合った元彼と喧嘩するたびに言われていた

「お前の中には0か100かしかないの?真ん中とかグレーとか許容できるようになったらもっと生きやすいと思うよ」

という言葉を思い出した。

 

わたしはまた、0の状態を振り切ってマイナスの陰の生活から、100を振り切って陽の生活に向かって突き進んでいる。

 

あんなに「みんなと同じようにただ普通に学校に行って、就職して、社会からはみ出ずに目立たずに平凡な幸せが欲しい」と思っていたのに、

仕事もプライベートも特に問題なく平穏な生活が続くと、刺激と非日常を求めてつい虫スナックを食べたりしてしまう。

 

わかっている。

人間は不幸な他人を見るのが好きだ。

陰の狂い方をしている時の方が、フォロワーが多かった。陽の生活を始めてからは呟くたびにだんだんフォロワーが減っていった。

人間は幸せそうな他人には興味がない。幸せは平凡だからだ。

不幸な人間と、不幸なことを嘆き合い、励まし合い、ずっと不幸でいたいと願う。不幸は刺激的だから。

わたしもそう。ずっと幸せなだけでは人生は長すぎるから、たまにはちょっと嫌なことが起きてもいいと心のどこかで思っている。

幸せであることがデフォルトな人生だと知っているから、たまの不幸にも動じることがない。

誰でも「基本的には幸せ」の状態であると気づくことさえできれば、人間は楽に生きていける。

 

 

ほら〜なんかこういう達観した風なところが「陽の狂い方街道まっしぐら」感が強くて嫌なんだよ。

なんなの?自己啓発本でも出すの?

わたしはどうなれば自分に満足するの?

 

 

おわり

 

2021.07.05 マジでこんなことばっか考えてる

 

 

通勤時にふと目に止まった色褪せた看板。

「魔法みたいに杖を振れば一瞬で鮮やかなピンク色になればいいのに」

そんなことが頭をよぎった。

 

科学者たちが大真面目に

「一瞬で看板の色を変える装置を作る」のと、

「一瞬で看板の色が変わったように人間の目と脳を錯覚させる電磁波」みたいなのを作るの、

どっちのほうが現実的なんだろうね。誰かやってみてくんないかな。

 

 

 

おわり

 

2021.07.04 こんばんは、うぬぼれ乳首警察です。

 

 

男性アイドルがドヤ顔でシャツをはだけさせて、乳首が見えた瞬間に沸き起こる歓声にちょっとした嫌悪感を抱く。

薄い素材のシャツの前ボタンが全部開いて、挑発的でセクシーなダンスチューンが始まると「乳首がくる、、、乳首がくる、、、」と思ってしまう。

それは満を辞した興奮の乳首ではなく、親が年頃の娘に「そんなに太もも出してどこ行くの!!」という気持ちに似ているかもしれない。

 

なぜ男の乳首露出はあんなに軽視されているのか。

女の乳首は母乳を出す役割があるので隠すべきなのはわかる。(何が?)でも男の乳首は肉体の構造上なんの役にも立たない、性感帯以上のものではないのだから女体のそれ以上にやたら出していいものではない。

 

「俺の乳首には人を興奮させるほどの価値がある」、と満を辞して露出される乳首になんの価値もない。わたしはそういう乳首のことをうぬぼれ乳首と呼んでいる。

特に推しの乳首露出が許せない。推しの乳首が陽の光を浴びようものなら、ピピーピピー笛を吹いて取り締まりたい。心の中のうぬぼれ乳首警察は今日も推しの心身の健康を願っている。

うぬぼれ露出はやめろ、乳首を出すな、自分の乳首を大事にしろ

おねえさんとの約束だ、、、

 

 

おわり

 

2021.07.02 友達が親に数万円の物をねだって買ってもらっていると、羨ましくて心が死ぬ。

 

 

 

「うちにはお金がない」

そう気づいたのは多分中学生ぐらいだった。

お金がない代わりに、"普通の親より"わたしの感情や、すべてに体当たりで向き合ってくれて、深い愛情をもらっていた自覚はあるし、母も父も、誰のことも恨んでない。でもお金はなかった。

 

生活保護を受けたり、給食費が払えなかったり、ずっとお腹が空いていたり、そんなレベルの貧困ではない。学校にも行った、塾にも行った、わたしが"かわいそうに見えないように"母が借金してなんとかした。誰もわたしのことを哀れまない。だから、「お金がない」と言えない。

でも「ある人」よりはない。逆も然り、わたしよりもない人よりは、わたしのほうがある。

 

 

すべての不幸は、他人と比べて自分が持っていないものに気づくことから始まる。

あの子は買ってもらえるのに、あの子よりわたしのほうが頑張ってるのに、不公平だ、不平等だ、わたしはかわいそう、わたしは不幸、

そんな呪いの言葉を何度も何度も唱えてしまう。

繰り返し強く思ったことは、全部本当にそうなっていく。現実の自分を作り出しているのはそう思い込んでいる自分自身だから。

 

比べることをやめる、答えはそれだけだ。

誰1人として同じ人間はいないから、比べること自体に最初から無理があるのだ。

 

なのにわたしたちは、「同じ人間」「同じ人種」「同じ性別」「同じ出身地」「同じ年齢」「同じ価値観」、際限なく共通点を見つけては、「自分に似た人間がいた」って嬉しくなっちゃう孤独で愛しい生き物だから、

「同じだと思っていたあなた」が、わたしにはないものを簡単に手に入れられることが許せない。

 

あなたとわたしは、頭が1つ、腕が2本、足が2本、目が2つ、鼻が1つ、口が1つ、(基本的には)それだけ。

全部違う。なにもかも。比べる対象じゃない。だから自分にはないものを数えて落ち込まなくていい。

 

 

 

 

 

うるせえ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!

 

わたしも家計の状況気にせずに親にブランドバッグねだりてえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

おわり

 

2021.06.28 クマの夢の話

 

 

「なんのオチもない意味不明な夢の話してくる女って本当しょーもないよな」「リアクションに困る」

 

過去に半笑いでそう言ってきた男がいた。

その時は「世界一しょうもないのはお前だ」と思いながら適当に流したけれど、わたしの頭の中に「夢の話をする女はしょうもない」という小さな呪いが刷り込まれてしまった。わたしは頭を空っぽにして、オチのない夢の話を他人にすることが怖くなった。

でもこのブログは「よーし、しょうもない話するぞ!」と意気込んで書いているので、ここではしょうもない話し放題なのです。天才。

しょうもない話は、それができる心を許した相手にしかできないことなのに、それをただ「しょうもない」と一蹴してしまうなんて、人生を楽しむのが下手ね、と今ならあいつに言えるのに。

 

 

 

昼寝から目を覚ますと、いつもいるはずの飼い猫がおらず、代わりに小さな子熊がいた。

子熊と言っても猫よりかなり大きい。

「なんで!?」と飛び起きると子熊はなんの警戒心もなくこちらへやってきて、わたしの手に鼻を近づけた。少し湿っていて冷たいこの感触、猫も犬も熊も同じなんだな、と妙に冷静になったが、窓の外から聞こえる騒がしい声に、はっと現実へ引き戻された。

「クマがいる!でかいぞ!」「ベランダよじ登ってる!」「親子だ!」

きょとんとしている子熊をよそにベッドから飛び降り窓を開けると、道沿いに人々が集まってこちらを見ている。

小さな熊が後ろ足をぶらぶらさせながらベランダをよじ登っ、?落ちかけ?ていた。それを2mはあろう母熊が、道路を挟んだ向こう側でうろうろしながら見ていた。

「なんで!?!?」

なぜわたしの部屋に子熊がいて、それを追いかけるかのようにおそらく兄弟熊がもう1匹、こちらへこようとよじ登っているのか。大体この南の島には熊は生息していない。何熊なんだ。

わたしの熊に対する知識は名探偵コナン単行本27巻-28巻の松茸狩りのやつ(子熊を匿う灰原さんかわいい)しかない。

その乏しい知識から脳内でコナンくんが「子熊を放せ!母熊に返すんだ!」って叫ぶものだから、やべえ早く返さないと興奮した母熊が人間を襲っちまう!と焦り、ベランダで落ちかけていた子熊に近づき、下にいたおじさんに「子熊落とすんで、受け取って母熊に渡して!」と叫んだ。

 

 

 

と、ここで夢は途切れた。

オチはない。夢なので。

 

 

夢というのは、パラレルワールドの記憶を断片的に覗きみることだと思っている。

無数に存在する並行世界のわたしがその記憶を共有することで、それぞれの世界では「ありえない」とされている非現実的なアイデアや、ひらめきや逃避や安心や、その世界を生き抜くための、小さな救済だと。

科学的な根拠なんか必要ないのだ。

自分の世界は自分にだけ都合の良い解釈をしていい。

オチや理屈や理論に疲れたら、ただ眠ればいい。現実は脳みそを使いすぎる。

 

おやすみなさい

 

 

 

おわり

2021.06.23 大人になったなって思った話

 

 

苦手な食べ物とか、あんまり好きじゃない味付けの物を食べた時に

「ゔわっ、まっず!!!」じゃなくて

「く、口に合わない、、、っ」て咄嗟に出てくるようになったこと。

 

 

おわり

2021.06.22 宇宙人「人類ちょっと調子に乗りすぎ」

 

 

わたしはどちらかというと人間以外の動物のほうが好きだ。

「理解し合えない」前提で適度な距離感を保てるし、言葉に頼らないコミュニケーションができるから。

最初から「理解し合えて当然」だというとんでもない前提で始まるマイノリティだけが楽しいコミュニケーションが横行している人間同士なんて。

 

最近母の知り合いの銀座に住んでるマダムとお話しする機会があって、しばらく雑談をしてたら、ふと思い出したように

「カラスってこの世に必要だと思います?うるさいし、ゴミを荒らすし、絶対要らないですよねぇ」と。

 

思わず小声で「怖っ!」って言っちゃった。

すごく上品な方だから、あ、やばい、と思ってちゃんと「カラスだって必要だから生きてるんだと思いますよ」ってその場はやり過ごしたんだけど、

自分にとって都合の悪い生き物はこの世に必要ないって、悪気も思慮もなく口に出せてしまうのが怖かった。

わたしの倍以上も長く生きていて、豊か(物質的)な生活を送っているはずの人が。

しばらく豊かさってなんだろう、どこで手に入れるんだろう、って考えてしまった。

 

 

この世はすべて表裏一体で、誰かを「死ぬほど憎い」と思っていても、実はその人には「憎む相手が必要」だったりする。

「いらない」と思うことは、「すでに持っている」ことと表裏一体なので、強く「いらない」と感じれば感じるほど、「持っている」ことが強調される。

だから本当に手放したいなら、「いらない」と思うことをしないようにすればそのうち「持っている」ことが薄れていく。

なんていうか、必然というか、誰かを憎むこともエネルギーになったりするじゃない。それが良いか悪いかは本人の感じ方次第で、良くも悪くもその人には誰かを憎んでエネルギーを持つことが必要で、無気力では生きていけないから憎しみのエネルギーでなんとか生きている、ってこともあると思うんだよね。

言ってること、多分誰にも伝わってない気がする。

 

どうでもいい話を宇宙規模まで拡げて考えるのが好きなので宇宙レベルで人間を見てみると、どう考えても資源を食い尽くして生態系を狂わせて地球という星を破壊し続けてるのって人間じゃない?

そろそろすごい知能と技術を持った宇宙人に粛清されてもおかしくないと思う。

 

人生100年時代」とか言ってますけど、当たり前に自分が健康で100年生きられると思ってる?

わたしもう25なんですけど、この1年って体感7ヶ月なんですよね、多分この体感スピードってこれからどんどん上がっていく。

その上病気になるかも、事故に遭うかも、宇宙人に粛清されるかもしれない。

そう思うとやりたくないことやる暇なんて1秒もないはずなのに。

 

なのに、わたしは今日も「行きたくねぇな〜仕事」って思いながら働く。

わたしはいつ死ぬかもわからない大事な人生を無駄遣いしたいな〜と思ってやってるので、全然嫌じゃないけど。

 

 

 

おわり