地球生活

この物語はフィクションです。

2021.06.20 父の日

 

 

 

父の日、世の中の雰囲気に飲まれて、一応プレゼントを買った。

 

父と母が離婚してから15年、不仲だった父と最近ようやくまともに会話ができるようになった。そんな親子仲。

 

"普通の家庭"なら、「ここまで育ててくれてありがとう、長生きしてね」と照れながらも心から感謝の気持ちを言えたりするのかな。

 

でも、わたしの父に育ててもらった記憶は、歳を重ねるごとに遠く薄くなってゆく。

 

「もっと甘えたかった」

「もっと頼りたかった」

「守られていたかった」

「こんな父親じゃなければ」

「もっとみんなのお父さんみたいだったら」

 

「わたしはこんなに苦しくなかった」

何度も思った。

 

 

そんな父になんの感謝をすればいいんだ。

わたしは何を言ってこのプレゼントを渡せばいいんだ。

「おめでとう」何が?

「ありがとう」何に?

ずっと考えていた。

 

 

 

「元気?仕事はどう?」

そんな一言にも怒りをぶつけて泣き叫んで感情的になっていたのが、なぜかここ1年でだんだん冷静に話ができるようになってきた。

自分の人生が上手くいかないことを、父親のせいにすることを諦めたのか、不毛だと悟ったのか。

きっかけは覚えていない。

 

でもきっとわたしは大人になって、父は老いたんだな、と

寂しさと安堵で、胸がくるりとかき混ぜられた。

 

 

 

わたしが今年、父の日に渡すプレゼントの「ありがとう」は、

「あなたに感謝できるわたしになるまで、生きていてくれてありがとう」だ。

ちゃんと父が生きてる間に心から感謝できてよかった。

純度100%の透き通った気持ちじゃないかもしれない。

でもわたしたち親子は、わたしは、これでいいのだ。

 

 

おわり